思い出せば、六十歳はそれまで見えなかった自分の足もとが見えはじめる年齢なのだろう。
何度かの挫折をあじわい、極限に追いこまれた時、それまで価値があると思っていたことが崩れてしまったり、当たり前だと思っていたことが当たり前でなかったりして、自分の力ではどうにもならないことがあるのだということにはじめて気づいて、人は謙虚になれるのだと思う。
「真理というものは、身近なところにあって、自分の中に見る心が無ければ見えない」と仏教書で読むと、なるほどと思う。
そう言いながら、苦しいときの神頼みでなんとかかんとか言い訳して自分の幸せばかり願ってしまうのだから、決して偉そうなことは言えないが、青い鳥の話のように、幸福がどこかほかにあるのだと思って求めていくと、けっきょく自分の外にあるのではなく、自分の中に、価値を見つけることなのだと、気つく時がくる。
「人生の本当の道は、転ばないことにあるのではなく、転ぶたびに起きあがることにある」
孔子の言葉が身に泌みる。
